平成10年1 故意ある第二行為の介在
【刑法】 平成10年・第1問
 甲は、愛人と一緒になるために、病気で自宅療養中の夫Aを、病気を苦にした首つり自殺を装って殺害する計画を立てた。そこで、甲は、まずAに睡眠薬を飲ませ熟睡させることとし、Aが服用する薬を睡眠薬とひそかにすり替え、自宅で日中Aの身の回りの世話の補助を頼んでいる乙に対し、Aに渡して帰宅するよう指示した。睡眠薬の常用者である乙は、それが睡眠薬であることを見破り、平素の甲の言動から、その意図を察知したが、Aの乙に対する日ごろのひどい扱いに深い恨みを抱いていたため、これに便乗してAの殺害を図り、睡眠薬を増量してAに渡した。Aは、これを服用し、その病状とあいまって死亡した。Aが服用した睡眠薬は、通常は人を死亡させるには至らない量であった。
 甲および乙の罪責を論ぜよ。




一、 乙の罪責
 1、構成要件該当性
   乙は、殺害の意思をもって、睡眠薬をAに手渡し、Aがそれを服用することによって、死亡しているので、殺人の構成要件にあたる行為、結果、および条件関係が認められる。
   しかし、Aに手渡した睡眠薬は通常の場合致死量に足りないものであり、Aの病状と相まって死亡しているので、甲の行為と死の結果との間に相当因果関係が認められるか、問題となる。
 【相当因果関係の判断基底】 客観説 病状は基礎とする よって相当因果関係あり!
 主観説を取っても、乙は病気を知っていたといえるので、同じ結論になる。
 2、違法性、責任 共に阻却事由なく、殺害を意図しているので、殺人の故意を認めうる。
   乙は殺人既遂罪(199条)の罪責を負う。

二、 甲の罪責
 1、構成要件該当性
  (1)甲は、夫Aの首吊り自殺を装った殺害を意図したが、殺害の構成要件に該当する行為は行っていない。
  (2)もっとも、乙に睡眠薬を手渡し、Aを眠らせようとしたことが、傷害罪(204条)の間接正犯に当たるとも思える。睡眠薬によって人を眠らせることは生理機能の侵害といえ、傷害罪(204条)の間接正犯の構成要件を充たす。
  (3)しかし、甲から睡眠薬の手渡しを依頼された乙は、自らAの殺害を意図して睡眠薬を増量した上でAに渡している。この乙の故意行為の介在により、甲の行為と結果の因果関係が切断されないか。
 【遡及禁止論】
 乙の故意による睡眠薬の手渡し行為に、傷害罪の結果は帰属するので、その背後の甲の行為との間では因果関係が切断される。よって、間接正犯の構成要件該当性は認められない。
  (4)しかし、甲が乙に睡眠薬を手渡さなければ、乙が殺意を持って睡眠薬をAに渡すこともなかったといえる。結果的には殺人罪の教唆の結果を生じている。また、乙に睡眠剤を手渡した行為と殺人罪の結果には、心理的に犯行を促進する因果性が認められる。よって、甲には殺人罪の教唆の構成要件該当性が認められる。

 2、違法性
  正犯者乙に殺人について違法性が認められるので、教唆についても違法である。

 3、責任
  (1)甲は、傷害の間接正犯の故意で、結果的には殺人罪の教唆の結果を生じている。このような錯誤について、どう考えるべきか。

  (2) 【抽象的事実の錯誤】 →構成要件の重なり合いの範囲で故意を認めうる
 殺人と傷害は、実質的に傷害の限度で保護法益、構成要件が重なり合うといえる。傷害の範囲で故意責任を問いうる。


 【共犯の関与形態間の錯誤】
 幇助、教唆、共同正犯、間接正犯と単独正犯は、いずれも構成要件該当事実の惹起形態であるから、これらの関与形態の間で錯誤がある場合、軽い惹起形態の限度で重なり合いを認め、その限りで(故意を肯定しうる)(犯罪が成立する)と考える。

 →実質的に軽い関与形態の限度で故意を認めてよい。
 間接正犯と教唆では、実質的に軽い教唆の限度で故意責任を問いうる。
 本問の事情においては、傷害の教唆の故意責任を肯定できる。
 (3) また、傷害の加重結果である致死についても、甲に責任を認めることができるか。
   【結果的加重犯の教唆】
   まず、甲は、乙が故意をもって睡眠薬を増量しAに与えることまでは予想し得ず、その点については故意はない。
   しかし、甲が常用薬と偽って睡眠薬を手渡すという行為があったからこそ、乙はこれを怪しみ、甲の真意を察したことから自らも殺意を抱いたといえる。よって、乙が睡眠薬を増量した上Aに服用させたことにつき甲に過失を認めることができる。また、Aの病状をよく知っている甲には、そのような場合に死の結果が生じうるということも認識予見可能であったといえるから、過失を認めることができる。
 よって、致死という加重結果についても甲は責任を負う。
 4、罪責

 以上から、甲は、傷害致死(205条)の教唆(61条1項)の罪責を負う。

 以上