平成7年1 放送法・報道の自由・知る権利
【憲法】 平成7年1
 放送法は,放送番組の編集に当たって,「政治的に公平であること」,「意見の対立している問題については,できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」を要求している。新聞と対比しつつ,視聴者及び放送事業者のそれぞれの視点から,その憲法上の問題点を論ぜよ。

=構成=

1 放送事業者の立場から

 1) 問題提起 放送法の本問規定は、放送事業者の、自主編集権、報道の自由を損なわないであろうか。
 2) 編集権・報道の自由 ← 表現の自由として21条で保障される。報道機関には権利の性質上認められる人権である。
    対する本問における放送法の規定は、番組の「政治的公正」「多様性」という内容に着目して、自由を制限しようとするものであり、その規制の合憲性は、厳しく審査されねば → 

 (基準)
 その表現を規制しなければ、実質的な社会的害悪を引き起こすことが明白であり、また発生する害悪が重大で時間的にも切迫しており(明白かつ現在の危険の基準)、かつ、他のよりゆるやかな手段では規制目的を達し得ない(LRAの基準)場合に限って、当該規制を合憲と認めるべきである。

 3)あてはめ
  放送事業者の番組内容が政治的に公正さを欠く危険性 例えば、放送事業者の経営が、電力会社などの社会的権力からの広告費に大きく依存する場合など、その企業の方針に対し適切な批判がしづらくなるなどの問題は生じうる。その場合、情報の受け手が適切な情報を受けられなくなる危険があるといえるし、そのような危険は常に存在していることから、規制の目的は明白かつ現在の危険を防止する正当なものであると言いうる。
 しかし、手段として必要最小限と言えるか。
 そもそも「政治的公正さ」を公権力である監督官庁が判断することは、民主的で自由な言論の場を保障するために適切であると言えるか。むしろ、放送事業者は、営業上の目的からも視聴者に適切な情報を提供しその信頼を得ようとする強い動機づけがある。であるならば、複数の放送事業者が、自由に意見を表明し互いに批判をすることによってこそ、民主的な言論空間の政治的公正さが全体として保たれるといえる。
 新聞においては、放送法のような規制がなくとも、多様な主張がなされ、互いに社説等で批判を展開することによって、全体として健全な言論の場が保たれ、結果的に政治的公正さと多様な意見の紹介がなされていると評価しうる。(←ちゃんと新聞と比較)
 放送事業が免許制であることも考え合わせると、監督官庁が、「政治的公正」を命じることは、むしろ公権力側に都合のいい「公正さ」を押しつけることにつながりかねず、(民主政の健全な運営に資するべき言論の自由の擁護にとっては、)むしろ弊害のほうが大きいとすら言えよう。マスメディアの政治的偏向という問題は、公権力による規制が厳しい社会においてこそ、起りうる危険があるのではないか。
 以上から、放送法における規制は、目的達成のための手段として適切とも必要不可欠とも言えない。
 4) 結論
    以上から、本問の放送法の規定は、違憲である疑いが強い。
    もっとも、放送事業者に法的義務を負わせることがなく、免許の停止などの行政処分の理由付けに使われる可能性がまったくない、単なる倫理的な目標を定めたものであると解され、そのように運用される限度においてのみ、なお合憲と解される余地を認めうる。


2 視聴者の立場から

 1) 知る権利の保障 【知る権利】表現を受ける自由21条
 2) 対する放送法は、視聴者の知る権利を直接に侵害するものではない。ので、視聴者とのあいだで直接的に違憲の問題は生じないとも思われる。
 3) 放送事業者への規制を通じて間接的に問題になるにすぎない。
    市民は、公権力に対し、表現の自由の一環として知る権利を主張できるが、同じ私人である放送事業者にたいして、自分の望む情報を提供するよう求める権利までは主張できないと思われる。そのような権利を認めるならば、放送事業者の報道の自由を制約することになる。
 とすれば、放送法の規定は、放送事業者にとって問題になるかぎりにおいてのみ、間接的に、視聴者の知る権利にとっても問題となるにすぎない。
 3) よって、そのような問題が生じるか否かは、放送事業者について検討を加えた部分の記述のとおりである。


以上



(落第しそうな答案構成)

(放送事業の公益性 という観点から、合憲にする方向で書き直す?)(公益性→規制の必要性・許容性が大きい→ちょっと緩やかな審査基準「目的の正当性」へ?)

(電波希少論には一切触れてないけど大丈夫か)

(視聴者の立場から は もうちょっと上手い構成が出来そう。自信はないが、視聴者には、放送法の違憲無効を争う原告適格がないとか……言えるのか……??? 「取り消しを求めるにつき法律上の利益を有する者」とは言い難い、とか……)

(1 で最高度に厳しい基準を立てたために、合憲限定解釈を持ち出すのが、無理がある感じだ……とはいえ、現にある法律を違憲と断じるのは勇気がいるしねえ……)
(合憲にするのが通説だが、本当に? 放送事業が免許制である事実と合わせ考えるなら、たとえ倫理的規定であれ、表現への萎縮的効果は無視し得ないと思うのだけれど……これを書くとどう足掻いても合憲にはできなくなる)

(傍論だが、法律の規定により半ば強制的に徴収する受信料で成り立っている某国営放送の場合には、視聴者の信頼を勝ち得ねば、という動機づけが弱いと言える。様々な社会問題に見る通り。政権担当者からの不適切な介入を許した疑いがあったり……そのような機関には、放送法の縛りは必要なのかも知れない。政権におもねって偏った公正さを発揮しかねない問題がある……とはいえ、監督官庁がそれを適切に指導矯正するとも思えない……)

(放送局が放送法の違憲を争ったりしないのは、結局、免許事業であることの縛りがきつい、監督官庁に逆らうことが不可能という現実を物語るのであろう……)

(放送事業を免許制とすることの合憲性 という問題なら、電波希少論を合憲側の根拠として持ち出す気にもなる)

(だが、本当に希少か? 普通、新聞は一紙しか購読しないけれど、TVならいくつものチャンネルをただで視聴できるんだけれど)
(テレビ局の数と、有力な新聞社の数、そんなに開きがあるのかな?)

(2006/5/18)