平成10年1 信教の自由と政教分離
【憲法】 平成10年・第1問
 公立A高校で文化祭を開催するにあたり、生徒からの研究発表を募ったところ、キリスト教のある宗派を信仰している生徒Xらが、その宗派の成立と発展に関する研究発表を行いたいと応募した。これに対して、校長Yは、学校行事で特定の宗教に関する宗教活動を支援することは、公立学校における宗教的中立性の原則に違反することになるという理由で、Xらの研究発表を認めなかった。
 右の事例におけるYの措置について、憲法上の問題点を指摘して論ぜよ。



=構成=

1・ 問題提起 権利と責務の矛盾状況
2・ 1) 生徒側の人権 信教の自由、表現の自由、学問の自由 強く保障される必要性
   2) 対する学校側の責務【政教分離】宗教的中立性の維持
   3) 【精神的自由制約の合憲性判定基準】
      ここで問題となる諸権利はいずれ劣らぬ重要な精神的自由であり、これに対する制約は、その目的が必要不可欠であり、規制手段が最小限であると証明できない限り違憲である。その立証責任は公権力側にある。

3 規制の目的 政教分離原則の維持
 では生徒の発表は政教分離原則に触れる性質を有するか。
   1) 政教原理違反の判定基準 →【目的効果基準】
   2) あてはめ @目的、A効果、B結果
    @学校での研究発表を認める目的は、宗教的宣伝をさせることにあるわけではなく、学習・研究した成果を発表するという教育目的であり、性質的には世俗的な目的である。
    A研究発表を認めることが研究対象の宗教を援助することにならないか。
     例えば、大学生が大学構内に「安保粉砕」「反戦」などを主張する看板を掲示したとしても、大学当局までがその意見に同調しているとは、考えないのが通常であろう。同様に、高校における宗教を対象とする研究発表を許すことが、直接、学校に科された政教分離の原則に違反すると恐れることもまた杞憂にすぎなかろう。
 また、研究を進めることが研究対象を社会に認知させ普及させる効果を、一般に有することは否定し切れないものの、それを問題視するならば、そもそも公立学校における宗教研究はすべて否定せざるを得なくなり妥当ではない。よって宗教を対象とする研究発表は、政教分離原則との関係で問題となるような、宗教助長効果は有しないと考える。
    Bかかる研究発表を認めることで、学校と宗教団体との間に過大な結びつきが生じる恐れはない。

   3) 結論 以上から、研究発表を認めることが政教分離原理に触れるとはいえず、本文処分には正当な目的が存在しない。

    (なお、発表をする生徒がその宗教の信者であることから、研究発表が宗教性を帯びざるをえないとしても、非信徒の発表は認め、信徒の発表のみ問題視するという扱いはまさに宗教による差別であり、両者同様に客観的な学問研究発表と解釈すべきである)




4 規制手段の妥当性
   1) 目的に正当性がないため、手段の妥当性を検討するまでもなく処分は違憲であると思われるが、なお念のため、手段の妥当性を検討すると……。
 (仮に、発表が政教分離原則の維持という目的上問題だとして……)
【学校長の広い裁量権】
政教分離原則の維持に必要な範囲で、生徒の精神的自由権を制約することは、必要最少限度の範囲であれば、学校の管理者たる校長に認められる広い裁量の範囲内の行為として許される。
   2) 最小限といえるか、
      ・学問的客観性をもった発表をするよう指導する
      ・ついでに教義の宣伝や勧誘などを行わないよう求める      などの措置を取れば、学校の政教分離原則に対する責務として十分であり、全面的な発表の禁止は、手段として過大に過ぎ、裁量の範囲内とは言えない。

5 結論
 校長の発表禁止処分は、正当な目的を有せず、またそのことから当然に規制手段も手段校長に認められる裁量権の範囲を逸脱したものであると言える。よって、生徒の信教の自由、表現の自由、学問の自由を不当に制約するものであり、違憲である。