【間接正犯の実行の着手】
【間接正犯の実行の着手】

 間接正犯とは、どのような様態を指すのか。
 通常、行為者の行為が直接的に結果を発生する場合は、これを直接実行という。これに対し、行為者の行為と結果との間に、第三者や被害者の行為が介在し、この介在行為によって結果が発生する場合がある。この場合を間接実行という。
 そして直接的には介在する他人の行為により結果が発生しているにもかかわらず、本人が結果を惹起したと見うる場合があり、これを間接正犯と呼ぶ。
 もっとも、介在する他人の行為が故意によるものである場合には、遡及禁止が妥当し、本人には責任を問い得ない。
 そこで、機械的な道具と同視しうる他人を利用して構成要件を実現する場合を間接正犯とすべきである。


 (実行の着手時期)
 では、間接正犯において、実行の着手時期はいつであろうか。
 この点、本人(利用者)の行為を基準とする説と、他人(被利用者)の行為時を基準とする説が対立するとされる。
 そして、間接正犯も正犯である以上、実行とは自らの行為の実行であるべきとすれば、利用者基準説を取ることになり、具体的な危険の惹起を問題する場合には被利用者基準説を取ることになる、と言われる。
 しかし、それは妥当とはいえない。実行の着手の判断において、行為者の行為を離れ、具体的危険の惹起時を基準とする考え方からは、利用者ないし被利用者の「行為時」を基準とする必然性はなく、あくまで既遂の具体的危険が高まった時点を着手時とすべきであり、それが、被利用者の行為時と一致するとは限らないのである。


 (なお……)
 隔離犯の事例で判例が到着持説を取ることから敷衍して、間接正犯では被利用者基準説を取るはずだ、と考えることも妥当ではない。
 「相手宅に砂糖が到着した」時点を、医者が看護婦に毒を手渡す事例に置換えると、看護婦が被害者たる患者のそばに「到着」した時点に相当すると一般に考えられるようだが、しかし、「到着」を問題にするなら、医院の中には常に毒薬が存在している以上、最初から既に「到着」しているとも言いうる。
 既述した通り、既遂結果発生の具体的危険の発生時を基準とするなら、この看護婦を道具として利用する間接正犯の場合、医者が看護婦に投薬を指示した時点では、未だ具体的危険は認められないが、指示を受けた看護婦が投薬の準備を完了し、あとは投薬するばかりとなった時点に、具体的危険を認めることも十分可能であると考える。
 看護婦が実際に、患者に投薬する直前に実行の着手があるとする解釈は、隔離犯の事例に引き戻すならば、砂糖が実際に料理に使われ、食卓に運ばれて、実際に食べられる直前まで、具体的危険を認めないことに等しいと思われる。